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越日友好フェスティバル2013

ホームページ 特集「日越友好40周年記念事業」

今年は「日本ベトナム友好年」。1973年9月21日に、日本が当時の北ベトナムと国交を結び、日越の国交関係が正式に樹立されてから満40年に当たる。日本が北ベトナムと国交を結んだのは、ベトナム戦争終焉の2年前であり、一定の先見性・洞察性があったと考えられる。
この記念すべき年に、ベトナムの諸国友好協会連合会・越日友好協会は「越日人民友好フエステバル」を開催して、日本の諸友好団体を招待した。私たち沖縄・ベトナム友好協会にもすでに6月段階に招待状が届いた。協会は、当初祝賀ツアーの予定を準備不足から、会長・副会長一行の参加となり、9月19日ハノイ入りした。
一方、11月9・10日のJICA沖縄主催の「国際協力・交流フエステバル2013」には、前年度から再参加した2年目、やはり「日本ベトナム友好年」をコンセプトにした写真展示とベトナム物産品展とベトナム料理店の出展を行った。
さらに、協会のベトナム出先機関であるハノイ在のドンアイン・沖縄経済文化交流センター(以下、DOWACEN)でも、11月16・17の両日、DOWACENの主催、三菱重工業株式会社・MHI AEROSPACE VIETNAMの共催で日越友好40周年記念「日本文化紹介」が開催された。
そこで、この年の終わりに、豊富な写真とともにそれらをご紹介して、記念すべき年を締めくくり、来るべき新年からの沖縄とベトナムのさらなる友好・交流運動の発展を誓いたいと考える。

盛大かつ厳粛―ハノイでの「越日人民友好フエテバル」

9月20日~23日にハノイを中心に開催された「越日友好フエステバル」には、招待を受けた、日本ベトナム友好協会からは本部・各支部の役員など15名、沖縄からは会長・副会長夫妻が参加した。
フエステバル前夜の19日、日本からの招待客とともに、国際会議センターホテルレストランでは、沖縄側関係者6名も揃って、晩餐会に参加した。
翌20日午前、同コンベンション会議場において、「40周年記念式典」が開催され、歓迎の歌と踊りの後、開催側や在越日本大使、日本側、越副首相らの挨拶があった。
同日午後は、「友好関係強化に関するシンポジウム」が開かれ、日越の友好団体の報告があり、沖縄・ベトナム友好協会もとくに発言を求められ、鎌田会長は、沖縄独自の友好協会設立の意味と経過、20年の活動報告を行い、日越の参加者の注目を浴びた。
そのあと、主席府でグエン・テイ・ゾアン副主席と会見した。さすが「ベトナム・ナンバーツー」だけあって、クイーンとしての優しさと威厳と風格を感じた。
そのあとは、友好勲章や民族平和記念祈念章の授与式が行われて第1日目が終わった。

YouTube映像、越日人民友好フエテバルをはめ込む
続く21日はエクスカーション、2台のパトカーが先導し、黒塗りのセダンが3台にバス4台という大世帯の移動、パトカーに乗ることはあっても(ナイナイ!)先導されるのは初めての体験である。ヴィンフック省の竹林天禅寺とベトナムホンダ社を訪問した。同省人民員会主催の歓迎昼食会には、同省主席・人民委員会委員長などが参加し歓迎の意を表した。
22日もパトカー先導の大世帯で、クアンニン省の世界遺産ハロン湾クルーズと同省招待の歓迎夕食会が開かれ、鎌田会長もベトナムの歌の合唱の輪に加わった。
歓迎夕食会のあとは、全国の「呑ん兵衛」仲間で、ハロン湾市街地に繰り出した。こうした機会に行われた、全国各地でベトナムとの友好運動を盛り上げている仲間たちとの経験交流は鎌田会長を大いに触発しまた鼓舞した。シンポジウムでの沖縄の活動報告ともに、沖縄・ベトナム友好協会の存在のPRに大いに役立ったといえよう。
こうして、ベトナム側招待のフエステバルは終わったが、沖縄側会長・副会長夫妻は、ハノイからフエに寄り、HUEWACENTの業務を支援して、27日ホーチミン―台北経由で帰沖した。

新しい仲間を得て
JICA沖縄「国際協力・交流フエステバル2013年」参加!

昨年、協会活動の都合の中休みから久方振りの参加をしての今年のJICA祭り参加は、
9月5日の理事会で委任された友好協会内実行委員会(委員長 兼島理事)によって取り組まれ、やはり「日越友好40周年」をコンセプトに、ベトナムの紹介、友好協会の活動の報告を中心とする写真パネルとベトナム民芸品の展示、ベトナム料理店ダオによるベトナム料理の出店で行われることになった。実行委員会は当初の「ブレインストーミング(頭脳の嵐)」形式の自由な発想の展開から始まった。
その過程では、10月3日RBCラジオ「シャキットアイ」や10月11日のFMレキオ「ベトナム紹介」番組への鎌田・国吉理事・野原会員によるベトナム紹介、11月2日の鎌田会長の沖縄タイムス論壇「沖縄ベトナム友好協会20年」記事などでの宣伝による盛り上げもあった。
また、9月28日には、RBCテレビが、日越友好記念のTBSとベトナム国営テレビ共同制作ドラマ「パートナー」が上映されるなどで雰囲気はいやがおうでも出来上がってきた。
このドラマは、今から100年も前の当時の抗仏独立戦争を、犬養毅総理や、大隈重信、浅羽佐喜太郎ら日本の指導者らが理解を示し、「人材育成」という人道的立場から支持・支援していた史実に基づくもので、再放送も含め広く国民に知らせるべきである。こうした歴史の積み重ねこそ、ベトナムが日本との友好関係を重視する所以なのである。
11月7日、JICA会場の実地視察を経て、前日8日3時からは、兼島・川口・鎌田・與儀・宮腰・野原などが、1階からの階段直近というベストな場所割りを得て、2階の写真展示と1階駐車場の食堂設置を別々に準備した。写真展示では、写真の8つのコーナー別に分けて、兼島・川口会員などの独自の理論による展示方法が活きていた。鎌田は、上記共同制作ドラマのDVDを得ていたので、会場の机上にテレビ受信機とDVD再生機を置いて、参加者に提供した。また、雰囲気を高めるベトナム民謡を常に聴くためのCDプレイヤーも設置した。その他、ベトナム民芸品を輸入しダオでも販売している佐々木・松田会員の許可を得て、バッグ・ポーチ・スリッパなど民芸品、ボイ茶の試飲、展示写真の参考になる資料、鎌田の本などが机上に並べられ、夜が遅くなる頃展示準備は終わった。
翌、本番当日、朝から、仲田理事プレゼンスの日本文化学院のベトナムからの研修生も手伝いに来ている。さらに、午後1時からは、鎌田の9月の他府県との交流のなかで紹介を受けたベトナム民俗楽器トルンの演奏者である読谷村在住の川崎磬子さんの沖縄初演奏があり、それ向けのチラシ配りも忙しい。


10時からの開会式を終えた参加者たちが、階段を上ってすぐの沖縄・ベトナム友好協会のコーナーに押し寄せる。丹念に写真を観るひと、気に行った民芸品を探すひと、いつの間にかアオザイ姿の鎌田も店員さんである。
午後1時、澄んだ柔らかいトルンの音が会場に響く。マリンバ奏者の川崎さんが竹製の打楽器ベトナム民俗楽器・竹琴を弾くのは3回目、沖縄では初演奏である。ベトナム、日本の歌曲の後、沖縄の慣れ親しんだ曲が弾かれると、手を叩いて熱中する子どももいる。何回も質問する若い女性もいる。こうして、質問に答えまた演奏をすると約2時間の沖縄での初演奏会は残念そうなお客さんを残して終わった。演奏者の川崎さんによると演奏会場でなくこのような会場で客と一体になっての演奏で良かったとのことであり、主催者としてもその上首尾は嬉しい。明日は東京出張とのことで、今日だけの演奏はいかにも惜しかった。

YouTube画像貼る タイトル名:JICA沖縄「国際協力・交流フエステバル2013年」
翌10日は、準備段階の打合せ通り、前日の川口さんに代わって兼城さんが、説明要員・店員として1日中張り付いた。
2階の階段を上がった場所は、ASEAN諸国との友好団体が割り当てられている。我が沖縄・ベトナム友好協会が縦に長く場所を取り、道向かいは、インドネシア・ミャンマー・カンボジアのブースである。同じアセアン通りに面していてもお互いどうしは対抗意識がある。
カンボジアのブースでは、現地の親のいない子どもへのケアを行う活動のために、風船細工で動物を作ったりして常に子どもを集めていた。来年は、我がベトナム・ブースでも、民芸品だけでなく、食料品・お菓子などを販売して、子ども連れを集めようと思った。JICAのフエステバルだけに、色んな国・人種・民族がまた種々の衣装で集まっている。

鎌田もまたベトナムのアオザイ姿でインターナショナルな雰囲気を楽しんでいる。こうした国を超え、人種や民族を超えて交流する場なのだ。鎌田は、そのなかでも、ベトナム研究者との再会を楽しみにしていた。名桜大学客員研究員のグエン・ドアン・ニェンさん、沖縄国際大学の鍋田尚子さん、琉球大学の若手研究者も昨年に続いて来場してくれた。ニェンさんは、自らの翻訳書を2冊持参して、受付で展示販売した。鍋田さんは、来年のフエ国際フエステバルに参加を約束してくれた、など沖縄在住の若手研究者の成長は楽しみである。
伊藤理事は、来沖した岩手の母親を車椅子に乗せて家族とともに、ベトナム・ブースを訪れた。遠い親戚も子連れで顔をみせる。

第2日目となれば、民芸品もいいものから次第に売れて行く。現場の判断で値引き販売をすると、ちょっとしたスーパーの特売場のような様相で大賑わいであった。
結局、試飲付ボイ茶 500円×32袋=16,000円、鎌田本300円×4冊=1,200円、入会金3,000円×1=3,000円、雑貨45,400円の総計65,600円の売上であった。

今年は、新しい理事・会員の全面協力を得た。来年への反省点としては、①早期の実行委員会の結成、準備活動、②ベトナム研修生の動員、③販売商品を民芸品に加えて食料品・チョコレートなどベトナム製お菓子や玩具など子ども向け商品も扱う、④展示写真は、ラミネート張りが簡便、など、新たな教訓も得た。
地元の子どもたちの参加で大盛況!

DOWACENの40周年プロジェクト「日本文化紹介」
 JICAフエステバルの成功からちょうど1週間後の11月17日、ベトナムハノイ市在のドンアイン・沖縄経済文化交流センター(以下、DOWACENと略)で、同センターの主催、三菱MHIベトナム株式会社化行会社の共催で開催され、沖縄からは與儀沖縄・ベトナム友好協会副会長・同センター所長が参加した。 開会式・式典では、鎌田沖縄・ベトナム友好協会会長挨拶(與儀副会長代読)、ハノイ市越日友好協会会長挨拶、増田三菱MHIVA社長挨拶のあと、展示会場の案内説明がなされた。
「日本文化紹介」の展示内容は、①日本生け花展示、②日本折り紙教室、③ベトナム小
中学生の絵画展示、④三菱飛行機制作実演会(ベトナムの小中学生対象)、⑤日本語弁論大会(DOWACEN日本語教室学生対象)である。
そのうちの①②④は、「日本文化フエステバル」と題して、日本文化・日本語に興味をもつ日本人を対象とし、③の絵画展「私の目に映る日本」は、ドンアイン・ソクソン地区の小中学生、6~15歳を対象に、10月20日までに、日本・日本人について描いた水彩画や油絵を募集し、20点を選びコンテスト会場に展示した(1・2・3位、各1名、奨励賞5名、人気投票賞1名)。
⑤については、DOWACEN夜間クラスで日本語を勉強するものによる日本語スピーチコンテストで、予選10名を絞り会場で発表、1・2・3位、参加賞を贈呈する。

以上のように、沖縄・ベトナム友好協会は、日越友好40周に際しての事業を展開し、また参加した。
沖縄・ベトナム友好協会は、ベトナム戦争と沖縄戦という地上戦の共通の歴史体験を共有し、沖縄がベトナム戦争の米最前進基地となった負の遺産を基礎に、沖縄が再びアジアへの攻撃基地とならないという強い決意のもとに、沖縄独自の組織として結成された。

結成後満20年、日本の友好協会とは独自の文化・社会・平和・経済などのさまざまな分野の友好運動を展開してきた。ハノイ市在の協会出先機関であるDOWACENでのベトナム人への日本語教育受講社会主義は、15年間で実に延べ5万人(同センター資料)に上る。
また、昨年2012年のホーチミン市戦争証跡博物館での沖越児童生徒の出展による「子どもたちのみた戦争と平和」展は、世界の3万5,000人もの鑑賞者を数え、同時に開催された「沖越の戦争教育・平和学習体験交流の会」も結実した。同年のフエ国際文化フエステバルには、琉球舞踊師匠らからなる文化使節団を派遣したが、来年には、屋慶名青年会のエイサー隊が沖縄の文化と伝統の薫りとウチナー青年の意気を披露する。
沖縄・ベトナム友好協会も設立20年余り、これまでの運動を再点検し今後の展望を切り拓いていかねばならない。
他方、近年の日越の友好関係は、「アジアの成長を取り込む」ためのインフラ需要などに傾注したトップブジネス政策攻勢など日本の経済進出の色が濃い。その中には、福島原発事故さえ収拾がつかない段階での「原発輸出」さえも強行されようとしている。いわれている「トイレのないマンション」をベトナムに輸出してベトナムを穢すことは許されない。
国交樹立40周年を機に、日越友好のあり方を改めて見直す段階に来ている。

\n以上、文章・写真とも、鎌田隆・與儀善榮、なお一部、鎌田隆「沖縄・ベトナム協会20年」沖縄タイムス論壇 2013年11月2日からの引用を含む。

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