鎌田 隆 学術平和の旅 5回連載

第3回 旅の展開―ハノイからホーチミンへ

 10.ハノイの大型スーパー買い物の見学
 
夕食までの時間にスーパーを見学した。ベトナムでも2000年頃からスーパーマーケットが急増したが、2004年6月に、売り場面積規模で専門スーパー(250㎡超)、総合スーパー(500㎡超)に区分された。2009年のWTO加盟により、流通業界への外資単独進出が可能になり、METRO、COOPMART、Big Cなどがそれぞれ進出している。

今回、ベトナム土産品購入のために訪れたのは、Big Cグループ(フランスのカジノ・グループ傘下)のハノイ・Thang Long店であった。
  1階がブランドショップで、長いエスカレーターで2階に上がるとスーパーマーケットになっている。売り場面積10,000㎡、レジが100台並ぶ大型店舗であり、食糧品、衣料品、薬品、電気製品などの外、ベトナム人の生活必需品のバイクなども販売し、炊事用品の説明販売もあった。買い物客は出口でガードマンにレシートをチェックされて、何かものものしかった。(写真10)

11.シルクの村ハドン、ハノイ名物ブンチャ

  前日の多忙さも一夜明け、もう今日はハノイからホーチミンへの移動日である。
午前中、ハノイから近い観光地、木版画で知られたドンホー村(車で1時間)、陶器が世界的なブランドでもあるバッチャン村(車で30分)などと同様、シルク製品の製造・販売で有名なハドン村(車で20分)へ向かう。製造工場では、織機がガチャンガチャンと大きな音を立ててシルク布を織っている。筆者にとくに目当てのものはなかったが、つい最近神奈川へ帰った孫2人の顔が浮かび、ポシェットをいくつも買ってしまった。小さな商店街の道端で、砂糖黍やココナツのジユースなどでのどを潤した。

昼食はハノイ名物ブンチャを味わう。ベトナムと言えばフオーという米粉のうどんで有名であるが、北と南でも麺にはいろいろある。ブンという米麺を甘酸っぱいタレにつけて食する。店にはいると、タレとともに、盛り付けの揚げ春巻き、炙った肉、ツクネ、香草が出てきた。また大皿山盛りの麺が出てきてびっくりしたが、案外さっぱりした味でいくらでも入る。筆者としては、ベトナム料理の中でベストスリーに推薦したい程美味く、再来・再食したい店であった。(写真11・12)

 

12.喧噪のホーチミン市へ

  ハノイ市からベトナム航空でホーチミン市へ約2時間。ハノイ市にもまして凄いバイクの群れ、喧噪、活気・・・。やはり経済の中心地である。(写真13)

こちらのガイドさんはいかにもベトナムの若者という感じの男性。市内の中心地にあるホテルに到着。筆者は、何年か前、当地でお世話になった岡山県出身でホーチミン市で「広場」という名前の日越交流のための喫茶店の店主であった男性とそのグループと出会う。

夏の長い日もようやく傾く頃、サイゴン河のデナー・クルージングへ出かける。広い道路のバイクの奔流を無事渡り切って船に乗り込む。3階建て位の客船で、我々の陣取った1階には100名程の客か?

隣席の韓国人グループが大騒ぎし、舞台では炎のショーなんかで盛り上がっている。ベトナム料理のコースが出切った頃、船はやっと桟橋を離れた。涼風が頬をかすめる。いっときの贅沢の時間が過ぎる。(写真14)                                              銅鑼が鳴り至福の川風頬摩る(さす)
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 13激戦語るクチトンネル

  8月23日(火)

 早朝早くホテルを出発して、ホーチミンから西北へ70kmのクチトンネルへ、ここは参加者の見学希望が強かった戦場跡である。1960~1974年当時、元南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)への解放軍の攻撃の強大な陣地であった。地下250km、2層3層にも及ぶトンネルは、解放軍の陣地であり、作戦本部であり、クチ住民の住居、工場、病院・・・など生活の拠点でもあった。

 トンネルは最終的にサイゴン河に通じていて、周辺地域の密林には米軍の枯葉剤が徹底的に散布されて、今蘇っている緑の林は、当時真っ白にやがては枯れ野に変化した。ゲリラ戦の解放軍は、地域住民とともに地下に潜る外なかった。そこには、祖国を守り人民を守り平和と独立を守るために立ち上がった解放軍による人智を尽くした様々な創意工夫がなされていた。地下トンネルの入り口は直径30cmもなく、枯葉で覆い隠されている。狭いトンネルは大柄の米兵には通行が至難である。地下の炊事場からの煙は遠く離れたところから地上に排出される。地上には米兵用の落とし穴があちこちに仕掛けてある・・・。

 そうした解放軍の作戦を学びトンネルに潜り、ベトナム人民の祖国解放のための戦いを追体験する。私たちも驚嘆し感服しつつ、コースを進んだが、緑深い森林のなかから静寂を破るような耳をつんざく爆発音が時折静寂を破る。幾ばくかの料金で実弾が打てる射撃場である。
   筆者は、あたかも沖縄にいるかのような気がして思わず「実弾射撃はんたいー」と叫んでしまった。戦争を厭い平和について考えるために来たものにとって雑音でしかない。(写真15)

 

 トンネルの闇に戦士の意気思う

   

  

 14.侵略者の罪を告発する戦争証跡博物館 

 ホーチミン市にとって帰り、今度はアメリカなどの戦争犯罪を暴く戦争証跡博物館を見学した。さっきまでは、祖国の自由と解放のための人智を尽くした現場で、人間の尊さ、美しさを実感したが、今度は侵略者たちがいかに外国を侵略するために「有効」な兵器は何かをそれこそ人智を尽くして考えた様々な兵器、戦争犯罪である地域住民をいかに多く殺傷するかだけを目的とした兵器が展示してあった。ここでは人間の愚かさや醜さを感じた。

 その愚かな企ての結果としての、ベトナム国民の悲惨な情景が、日本も含む世界中の写真家の手によって白日の下に暴かれている。襤褸切れのように米兵の手で持ち上げられたベトナム

人の遺骸、あの忌まわしい枯葉剤の結果としての奇形児たち・・・。事実は一目瞭然 これらの戦争で、誰が正義でどちらが不正義かは誰の目にも明らかである。(写真16)

 

15.ペンタイン市場を見学

  1914年に設立という長い歴史のペンタイン市場は、ホーチミン市民の台所としてより、観光ポイントとして有名である。1,000以上もの店が4つのブロックに分けられている。どの店も商品一杯、それも貴金属から衣料、雑貨、食糧と様々、ある店は履物たとえば草履が山のように積み上げてあったり、またある店は食糧品なら何でも来いと取り揃えている・・・。いかにもベトナムの豊さの象徴のようである。私たちは、ガイドの注意を守り集団で歩いた。

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