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沖縄・ベトナムを語る その2

沖繩・ベトナムを語る。
沖縄ベトナム友好協会
名誉会長 福地嚝昭

 

当時、枯れ葉剤は除草剤として使われていた。基地のある所は至る所で、オイル漏れなどがあり、枯れ葉剤もしかりである。ベトナム戦争によるこれらの漏れは現在も尾をひいておる。「追跡・沖縄の枯れ葉剤」著書に詳しく書かれてる。

沖繩南部の瀬長島では枯れ葉剤の影響で魚の死骸が散乱してしていた。これは飛行場からの漏れた枯れ葉剤の影響である。

他の資料には、私の著書「美しい国ベトナム」にも書かれておる。

沖繩ベトナム友好協会とベトナムとは、当時の副大統領ビンさんが沖縄を訪問、また越日友好協会の会長も沖縄を訪問、互いの交流は経済だけではなく文化交流をも広げた。アメリカや日本は、ベトナム戦争への反省がない。
映像の時間に制限があるため部分をカットしております。

なお、書き起こしもバラバになっておりますが、よろしく。

沖縄とベトナムを語る 福地嚝昭顧問

沖縄とベトンムを語る

沖縄・ベトナム友好協会
名誉会長 福地嚝昭

沖縄は戦争により、日本との民族分断をさせられたことは、ベトナムと同じ状況であったので、我々としては日本への復帰運動はベトナム反戦運動とは両輪のようのようなものだが。
私は作りあげた復帰協にベトアナム反戦運を取り入れよとしたが、復帰運動でいっぱいで打ち出せなかったが、ベトナム戦争が起こっていることを県民に知らしめよとした。
大衆運動は政治活動と見なされ弾圧された時であったので、反ベトナム戦争反対と掲げることができなかった。
ベトンム戦争がエスカレートするごとに、米兵による事件が多くなると同時に脱走兵もでてきた。ベトンムで戦死するよりか刑務所に入れらたほうが良いと考える兵士が出てきり、人種差別が広がり白人と黒人の争いごとが増えてた。
ベトナム戦地へはトイレットペーパーまでも物資として沖縄から送り出された。
沖縄なくしてはベトナム戦争はあり得なっかたと言われるほど前線基地であった。

このように沖縄は軍事優先の島として、米軍は人権無視の活動を行う。
あの頃から枯れ葉剤はあり、当時沖縄は「除草剤」と言われ、実際の利用した。米軍は各基地に危険な物資を保管、その弊害が今日までも続いている。
枯れ葉剤が沖縄から本国米国に運ばれたとうい事実もある。

沖縄・ベトナムを語るその1 画像も御覧ください。

 

国際ディー2014年度in JICA沖縄

11月8日 9日、その日は国際DAYと称して、沖縄国際センター(JICA沖縄)で国際交流を行っている各団体が皆さんそれぞれにブースを設けて、団体の活動紹介を行いました。
沖縄・ベトナム友好協会もブースに活動の紹介からベトナム物産まで展示しました。
会場では、竹製木管楽器を生演奏しました。
その模様を写真で紹介します。

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Viet-namDowacenから沖縄へ

11月4日〜6日、ベトナム友好団体の皆さんが来沖しました。
来沖の目的の一つに豆苗の農園視察、青果組合などを視察を行いました。

みなさんはベトナム・ハノイにあります、沖縄・ベトナム経済文化センターの関係者で、沖縄ベトナム友好協会とも縁のある方々です。

歓迎会をベトナム料理「ダオ」で行いました。歓迎の模様を写真で紹介しましょう。